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ラガディ・アン&アンディの紹介

++RAGGEDY ANN & ANDY+++  ラガディ・アン&アンディ
今から85年以上も前にアメリカはイリノイ州のアルコラで、ラガディ・アン&アンディは誕生しました。
ラガディアン&アンディは、イラストレーターでありおもちゃのデザイナーだったジョニー・クルエルによって生み出された絵本のキャラクターでした。

病気がちだったジョニーの娘、マルセラのために、ジョニー自身の母親が作った人形を元にしてストーリーを作ったと言われています。

わんぱくで冒険家の姉、アンとお姉さんが大好きでとっても忠実な弟アンディの物語。
残念ながらマルセラは13歳の若さで亡くなってしまうのですが、ジョニーは彼女の死後、今まで作ったストーリーをまとめて本として出版。
同時にアンをモデルにした人形も一緒に販売しました。

これが、今なお人々の心を捉えて離さないアン&アンディの始まりだったのです。

ここでは、その誕生から今までを簡単に紹介します。
ラガディ・アン&アンディコレクションはこちらから

【マルセラ】
ある片田舎の町に、いつも屋根裏部屋で遊ぶのが好きな少女がいました。
少女は、ある日、屋根裏部屋の片隅で人形を見つけます。
ボロボロのその人形が気に入ってしまった少女は、いつもその人形で遊んでいました。
それを見た父親は、その人形がずいぶんとくたびれているのをみて直してあげることにしました。
それは、彼の母親が持っていたラグドール(ハギレ布で作られた人形)でした。
父親の名は、ジョニー・グルエル。
絵本作家やイラストレーターをしていた彼は、娘のために直してあげたその人形が後々まで多くの人に愛されることになろうとは思いもしなかったでしょう。

少女はもともと体が丈夫ではありませんでしたが、ある日予防接種の感染が原因で病の床についてしまいます。
ジョニーは少女を元気付けるために、あのお気に入りの人形を主人公にした物語をつくって毎日語り聞かせました。
しかし、ジョニーの必死の願いも届かず、少女は13歳という若さでこの世を去ってしまいました。
その少女の名は、マルセラといいました。

【ラガディ・アン・ストーリーズ】
最愛の娘を失い悲しみにくれるジョニーは、友人の勧めでマルセラの遊んでいた人形の物語を本にすることにしました。
いつもマルセラに語り聞かせていた物語で、マルセラと人形たちの物語です。
1915年に人形のデザインは完成し(ラガディ・アンの誕生です。)1918年に「ラガディ・アン」と名づけられた人形と「ラガディ・アン・ストーリーズ」という絵本がボーランド社から発売されました。
マルセラは、物語の中でアンと一緒にいきいきとよみがえったのです。
1920年には、アンの弟として、アンディが登場する「ラガディ・アンディ・ストーリーズ」が発売され、1929年には、マルセラとアン&アンディの物語を収めた「マルセラ」が発売されました。
ボーランド社は、この後、1934年までラガディ・アン&アンディを生産しました。
ボーランドのドールは、ボタンアイで鼻は縁あり(ブラックアウトラインノーズ)でした。

【モーリー社とエクスポジション社】
世界的な大恐慌でボーランド社が生産をやめた後、モーリー社がラガディ・アン&アンディを発売しましたが、正式なライセンス許可をとっていなかった為、訴訟問題が発生し、正式ライセンシーのエクスポジション社も訴訟の影響で、たった1年しか生産しませんでした。
エクスポジション社のドールは、ボーランドとほぼ同じようなものでしたが、モーリーは、靴を青くし、目をちょっと横を見ているようなキリカキのあるプリントアイにして、胸には赤いハートをプリントしました。目が大きく顔がマルに近くなり、ボーランド社のものより現代のドールに近いような顔です。
エクスポジション社は、1935年から1936年まで、モーリー社は1935年から1938年まで生産しました。

【I LOVE YOU】
世界大恐慌も終わりを告げた1939年に生産をはじめたのがジョジーン社です。
1962年までのもっとも長い間ラガディを生産し、物語に出てくるしわくちゃ膝のキャメルや犬のアーサーのドールも発売されました。
目はボタンアイですが、鼻が縁のないイチョウ形(ワイルドノーズ)になり、顔もやさしい上品な笑顔になりました。
極少数だけブラックアウトラインノーズも生産されたそうで、マニアの間では垂涎の的になっているそうです。
ジョジーン社のドールから胸のハートに「I LOVE YOU」の文字が入るようになりました。

【ポップなアメリカ】
【ポップなアメリカ】
ジョジーン社とのライセンス契約が終わった後、次の契約を結んだのはニッカーボッカー社でした。
ニッカーボッカー社は、当時のアメリカがもつ若々しい世相にマッチさせるために華やかな服装と明るい感じのポップな表情をアン&アンディに与えました。
ニッカーボッカー社のドールは、ボタンアイで鼻は縁のない三角になりました。ジョジーン社と同じく胸にはアイ・ラブ・ユー・ハートが入っています。
ニッカーボッカー社は、1962年から1983年まで生産しました。

【現代に生きるラガディ】
【現代に生きるラガディ】
1984年からは、正式ライセンシーのハズブロ社とサブライセンシーのアプローズ社の2社からラガディ・アン&アンディは発売されています。
ニッカーボッカーのボタンアイと三角鼻を踏襲し、より現代的に華やかな衣装をまとうようになりました。
1992年にラガディ・アン誕生75周年を記念した限定ドールがアプローズ社から発売されて以来、毎年記念ドールや限定ドールが発売されています。
2002年には、アメリカのおもちゃの殿堂入りもはたし、ジョジーンの記念限定ドールが発売されました。

1915年にジョニー・グルエルの生み出したラガディ・アン&アンディは、3/4世紀を過ぎてもなお衰えることなく世界中の人々に愛されつづけています。

【そして、日本】
我が日本では、くすのき玩具が、1989年から1994年までラガディのドールを生産していました。
日本人の好みに合うように考慮してか、ややあっさりとした表情をしています。
特に、最近復刻されたペアドールは小さい目のなごみ系の顔をしています。
そして、2000年にラガディ生誕85周年を記念して日本でラガディフェスティバルが初めて開催されました。
以後、毎年行われるフェスティバルにおいては、年々参加者も増えて、フェスティバル記念ドールも発売されるなど我が日本においてもラガディ・アン&アンディの人気は高まっています。

【いつまでも心の友達として】
以来80年、ライセンス契約で量産体制が取られたことから、ラガディ人形は全米に広まってたくさんの子供たちの友達となりました。
子供たちは大人になっても、かつて打ち明け話をしたこの小さな友達を忘れることはありません。ハリウッド女優からモナコ王妃となったグレースケリーにも大事にしているラガディ・アンがあり、1966年のモナコ公国建国100周年には、ラガディたちも祝賀式典に招かれたというエピソードが残っています。私たちが思い描くアメリカンカントリーシーンとラガディ・ドールが切り離せないのは、そんなアメリカの人のノスタルジーが反映されてのことなのでしょう。

あの丸い顔で笑いかけられたら、思わずこちらも笑顔を返してしまう・・・・。
今やラガディ・アン&アンディは、国境を超えて世界中の人気者です。グルーエルが娘を慰めるために使った魔法が、現在もラガディたちの中に生きているせいかもしれません。

THE END
参考文献

ラガディ・アン&アンディ公式ファンブック
ラガディ・アン&アンディ公式ファンブックVol.2
ラガディ・アン&アンディ公式ファンブックVol.3
(学研)
ヴォーグファミリークラブNEWS2000


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